萬引は金額の多寡の問題ぢやないだろ!
民間の企業なら、766圓だらうが766萬圓だらうが
「會社の體面を著しく汚した」で懲戒解雇となるな。
おまけに教育者だから、これを知つた莫迦な子供が
「金額が少なければ萬引は許してもらへる」と云ふ考へを持ちかねない。
さういふ悪影響を考慮しなかつたのか?
何より、懲罰が「女性が受けた被害」つて…理解不能。
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>2004年のキングカメハメハ、09年のディープインパクトは今レースでの勝利をステップに次走の日本ダービー(5月27日、東京競馬場)を制しており
あのディープインパクトが、皐月賞を勝つた後、日本ダービーに直行せずに、NHKマイルカップを勝つてゐたとは知らなかつた!
※正しくは08年のディープスカイ
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「何でも好きな褒美をやる」。機嫌のいい豐臣秀吉に家來の曾呂利新左衛門(そろりしんざゑもん)が願ひ出た。「では、今日は米1粒、明日は2粒と、日ごと倍の米を100日間頂きたうございます」。慾の無さに驚いた秀吉は、やがて膨大な量になることに氣づく▼中學校の數學の教科書にも載つてゐる、有名なとんち話を持ち出すまでもない。數學は、人生のさまざまな場面で役に立つ。わかつちやゐるけど、やつぱり敬遠してしまふ。小欄を含めた世の數學オンチたちに、猛省を促すやうな記事をきのふ見つけた▼大學入試で數學を受驗科目に選んだ文系學部出身者は、選ばなかつた人に比べて年収が高く、大企業に就職する比率が高い。京都大學などの研究者グループが行つたインターネット調査で、こんな結果が明らかになつた。理系學部出身者に高校時代の得意科目を聞く調査では、生物や化學より、論理性が高い物理と答へた人にも同じ結果が出た▼調査對象が20~70代の男女と、廣い年齢層にまたがつてゐる點に留意する必要がある。年収はともかく、數學を得意とする今時の「賢い」若者なら、大企業への就職イコール人生の勝者と云つた、單純な發想はしないはずだからだ▼「たとへ民主主義であつても、民主主義の敵が言論の自由を使つて民主主義を破壞するのは論理的ではないのだ」。政治の本ではない。『数学は世界を変える』(ソフトバンククリエイティブ)と云ふ數學入門書にある言葉だ▼第二次世界大戦の最中、米國で刊行されて以來讀み繼がれ、昨年邦譯が出た。著者のリリアン・R・リーバーは、數學は出世の道具どころか、正しく用ひれば世界を救ふと主張してゐる。若者よ、数學に勵め!
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「民主主義の敵が言論の自由を使つて民主主義を破壞」は論理的ではなくとも現実には在り得る話だ。「民主主義の身方が言論の自由を使つて暴走し結果的に民主主義を破壞」する事だつて在り得る。現實の世界は數式では表現出來ない事だらけだ。
花見には早かつたが、京都の仁和寺を訪ねた。平安時代に建立された名刹(めいさつ)だが、兼好法師の『徒然草』に出てくるちよつと「間抜け」な「仁和寺の法師」たちでも知られる。近くの雙ケ岡(ならびがおか)に庵を結んでゐた兼好には彼らの「内部情報」が、よくもたらされたやうだ▼中でも有名なのは初めて石清水八幡宮參詣に行つた法師の話(第52段)である。男山の麓にある八幡宮附属の社寺を拝んで帰り滿足げだつた。周りの人には「參拝した人がみな山に登つてゐたが、(私は)神へ參るのが本意だから登らなかつた」と語る▼實はその山の上に肝心の八幡宮がある。それを誰にも聞かうとしないからトンチンカンに終はつた。兼好は「先達(案内人)はあらまほしき事なり」と、サラリ皮肉るが、三木紀人氏監修の『方丈記と徒然草』は「何事にも獨善的な振る舞ひを暗に戒めてゐる」と云ふ▼鳩山由紀夫元首相のイラン訪問も「獨善的な振る舞ひ」に終はつた。この時期に行けば、對イラン包圍網の足竝みを亂すことになるとして、外務省などが再三、訪問中止を要請した。しかし鳩山氏は聞く耳を持たずに訪問を強行、大統領との會談を行つた▼案の定、イラン側は鳩山氏が國際原子力機關について「二重基準で公平でない」とイラン寄りの發言をしたやうに報じた。本人は否定したが後の祭りだ。しつかりイランに利用されたわけで、全力でこれと對決してゐる國際社會から爪彈きされかねない▼仁和寺の法師の場合は『徒然草』で冷やかされるだけですんだ。本人も反省したかもしれない。だが元首相のトンチンカンな獨善は一向になほらない。一刻も早く政界を去つていただくのが、國のためである。
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國の為に?そんな理由で聞き入れてもらへるとは到底思へない。何しろ民主黨の最高顧問だからねえ。。。(hisshou)
宮崎縣の幸島(かうじま)を流れる小川で、子ザルがサツマイモをころがしながら食べてゐた。その姿を見た三戸(みと)サツヱさんは、泥を洗つてゐるのだと氣づく。早速島でニホンザルの觀察を行つてゐる、京都大學の靈長類の研究グループに手紙で知らせた。昭和28年夏の出來事だ▼1匹が始めた行動は、次第に群れに廣がつていく。イモを海水につけて鹽味をつけたり、海まで運ぶために直立歩行したり、手に握つた麦を水に浸して洗つたりするサルまで現れた。「サルも文化を持つ」。この發見は世界に衝撃を與へた▼小學校の教員をしながら、1人で3人の子供を育て上げた三戸さんと幸島のサルとの關はりは、戰前にさかのぼる。幸島の自然にほれ込んだ父親は、昭和9年に幸島がサルとともに天然記念物に指定されたときの功勞者だ。占領下、子ザルをペットとして米軍の司令官にプレゼントするために、役人たちが命じたサル狩りの悲劇も目の當たりにした▼人間不陷つたサルたちを必死に捜し續ける研究者たちを、何とか手助けしたい、と云ふ氣持ちも強かつたと云ふ。「イモ洗ひ行動」の發見後も、1匹ずつ出産などの行動を記錄し、家系圖を作り續けた。現在も世界をリードする日本の「サル學」への貢獻の大きさは、計り知れない▼三戸さんによれば、サル狩り當時、群れを守るために苦勞したボスザルは、晩年失明しても周圍のオスから大事にされてゐた。子ザルを木の上から突き落とすスパルタ教育の母ザルも、敵が來ると必死でわが子を守る▼7日、三戸さんは97歳の天壽を全うした。群れに新しい文化をもたらした子ザルだけではない。その觀察記錄には、日本再生のヒントが詰まつてゐる。
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現在の日本はサルの社會にも劣ると云ふことか…(hisshou)
哲學者、田中美知太郎氏は現實の政治に對してもさまざまに發言してゐる。特に著書『今日の政治的関心』での言葉は有名だ。「いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」▼憲法9條さへあれば平和を守ることができる。そんな戰後の現實離れした平和主義や護憲運動を痛烈に皮肉つてゐるのだ。碩學のこの「金言」を持ち出すまでもなく、今の日本は憲法だけで國を守れる國際環境の中にはゐない。いやむしろその憲法ゆゑに危ふくなりつつあると云へる▼沖縄の尖閣諸島に食指を動かす中國はつひに「日本の實効支配の打破」とまで言ひ出した。いよいよ「本氣」である。多數の日本人を拉致した北朝鮮は、核實驗や日本の上空を通過しさうなミサイル發射で威嚇する。近隣諸國はもう、やりたい放題だ▼少々亂暴を働いても、日本は「平和憲法」による自縛で手も足も出ない。さう踏んでゐるのだ。つまり、9條を改正して反撃力を持つことこそが、横暴に対する最大の「抑止力」となる。日本にとつて、何よりもの「安全保障」となるのである▼大震災のときにも憲法の「缺陥」があらはになつた。災害や大規模テロを受けると云ふ非常事態を想定してゐないからだ。もちろん「大災害禁止」と書くわけではない。しかし緊急事態が宣言できるやう憲法に明記することは、國民を守る上で不可缺だ▼産經新聞は國の根本的立て直しを目指し「國民の憲法」起草委員會を發足させた。本來、政治が果たすべき役割だが、その動きは鈍い。及ばずながら改正が「焦眉の急」であることを訴へていくしかないと考へたからだ。
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福田恆存氏は「平和憲法は謝罪に過ぎない」と述べてゐた。
謝罪を續ける限り、日本は
尚、自分は「新憲法の條文が歴史的假名遣ひで綴られる」事を願ふ。
パ・リーグのMVP男、小笠原道大内野手が、平成18年に日本ハムから巨人への移籍を決めたとき、話題になつたのがトレードマークのひげの“行方”だつた▼と、云ふのも巨人の創設者、故正力松太郎の遺訓に「巨人軍は常に紳士たれ」とある。ひげの紳士はゐるにしても、巨人は「ひげなし」が不文律だ。當時、小笠原選手をどうしても獲得したかつた巨人側は、「ひげ容認」の姿勢を見せてゐたが、本人はすつかりそり落として入團會見に臨んだものだ▼確かに日本國語大辞典によれば、「紳士」とは、「身だしなみの整つた成人の男性」である。ただ「性行が正しくて禮儀に厚く學徳、氣品を備へた人」を指す場合もある。その意味では巨人は今、はなはだ紳士らしからぬ騷動に巻き込まれてゐる▼きつかけは先週、朝日新聞が1面トップで報じた記事だつた。巨人が、球界で申し合はせた新人契約金の「最高標準額」を大きく超える契約を多數の選手と結んでゐたと云ふ。巨人の親會社である讀賣新聞は、「緩やかな目安」だと反論して、徹底抗戰の構へとなつた▼記事の翌日、巨人に昨年解任された元代表の清武英利氏が出版した暴露本が、火に油を注いでゐる。きのふの讀賣の社會面トップは、「清武氏の著書に怒り噴出」の見出しそのままの内容だ。かへつて賣れ行きアップに手を貸したのではないだらうか▼「巨人軍は常に強くあれ」。「大正力」のもうひとつの遺訓こそ、巨人は金科玉條としてきた。有望選手を獲得するための、なりふりかまはぬやり口は、野球ファンには常識だ。報道のメスは高校野球にも及ぶのか。夏の甲子園大會を主催する、朝日ならではの追及に期待したい。
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さうだ、朝日新聞には“夏の甲子園”があるぢやないか!
頑張れ、讀賣新聞!負けるな、朝日新聞!
文藝評論家、小林秀雄のエッセー『栗の樹』によれば、小林の夫人は子供のころ「人通りまれな一里餘りの道」を毎日歩いて小學校に通つてゐた。4キロほどの道程である。中途に栗の大木があり、そこまで來て「あと半分」と思つたのださうだ。恐らく大正のころだらう▼前にも書いたこの話を思ひ出したのは、東京の児童・生徒が1日に歩く「歩數」のニュースがあつたからだ。都教委が小中高生たちに歩數計を配つて調べたところ、平均1萬445歩だつたといふ。どの學年も男子より女子の方が少なかつたさうだ▼全國でも初めての調査だから、以前と比べどうなのかは不明である。だが時代とともに減つてきてゐるのは間違ひないだらう。小林夫人のやうに學校まで往復8キロを歩く所など、滅多にない。塾や習ひ事に追はれ、隣町まで歩いて遊びにいく姿は見られなくなつてしまつた▼都教委も1日1萬5千歩が望ましいとしてゐる。特に小中學生では歩數の多い子供ほど體力や運動能力が高いといふ。だが歩くことの効果は健康や體力だけではないはずだ。知性や感性を磨くためにも歩くことの大切さがもっと強調されていい▼昨年の大地震で、首都圏では多くの人が歩いて帰宅する目にあつた。それでも經驗した知人は、車や電車から見るのとは違ふ街の表情を見つけ「少し得したやうな氣にもなつた」といふ。栗の木のやうな「道標(みちしるべ)」のありがたさに氣づくのも歩けばこそだ▼西行や芭蕉の文學は漂泊の旅から生まれた。幕末の志士たちは諸國を歩き囘り新しい國への思ひをはせた。今「歩數」が足りないのは子供たちだけではなく、政治家をはじめとする日本のリーダーたちかもしれない。
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いつもの事ではあるが、最後に日本のリーダーを嘆くのは、野暮つたい。
米アリゾナ州にある大溪谷グランド・キャニオンには、轉落防止の柵がない。民主黨の小沢一郎元代表はかつて著書のなかで、この事實を例にとり、個人に自立を促す「日本改造計畫」を唱へたものだ。ただし日本では、事件や事故が起こつてから、初めて柵の有無がわかる場合が多いのではないか。▼數カ月前に燒き肉チェーン店で、ユッケを食べた客が次々に食中毒を起こし死者も出た事件では、實はユッケの材料が、加熱用の牛肉だつた。そもそも、厚生労働省の衞生基準に基づく「生食用」の牛肉が、市場にほとんど出囘つてゐない事實を、どれだけの人が知つてゐただらう。▼浜松市の天竜川で起きた、川下り船の轉覆事故では、乘客が救命胴衣を著けてゐたかどうかが焦點となった。法律では、12歳未滿の乘客に著用を義務づけてゐる。運航會社によれば、大人の安全對策として、救命クッションを備へてゐた。▼ところがその後、「暑いので置いておいていい」と、乘船前に船頭が子供に説明してゐたことも、明らかになつた。あつたはずの柵が、引き抜かれてゐたわけだ。運航會社の責任は、嚴しく問はれるべきだらう。▼柵について論議が必要な危險な場所は、われわれの身の囘りにもたくさんある。たとへば、小學生が猛スピードの自轉車で驅け抜ける歩道もそのひとつだ。歩行者に對して加害者になりうる彼らだが、轉倒して大けがを負ふ可能性だつてある。▼それなのに、道路交通法で努力義務として規定されてゐる、ヘルメットをかぶつた姿をほとんど見かけたことがない。放射能がわが子の健康に及ぼす危險性について、心配するお母さんがあれだけ多いと云ふのに、不思議でしかたがない。
日常生活が安全・安心なものばかりになると、痛みを感じる機會がなくなり危險なものを察知する感覺が無くなる。これは危險ではないか、と云ふ想像力も缺如する。でも放射能についてはテレビやネットが危驗性を教へてくれる(例:汚染された藁を食べた牛は出荷停止)。教へてくれないものは知らない、わからない。
(hisshou)
昭和20年8月14日、つまり終戰の日の前日、東郷茂徳外相はアジア各地駐在の外交機關あてに暗号の緊急電を發した。日本の敗戰で、大東亞會議に參加した親日國の要人は嚴しい立場に置かれる。もし望むなら日本への「移行」に便宜をはかれとの内容だつた。▼「敗戰國日本に呼び寄せたあとの對策や見通しがあつたとは思はれないが…日本なりに誠意を示したのであらう」。親日政權のひとつ、汪兆銘政權を追つた『我は苦難の道を行く』の中で上坂冬子さんはさう書いてゐる。確かに敗戰前夜の國とは思へないやうな「氣遣ひ」である。▼「亡命」を打診されたひとりが中國・南京政府の陳公博代理主席だつた。汪兆銘亡き後、同政府を率ゐてゐた。陳主席は當初、申し出を斷る。だが自分が南京に殘れば蒋介石軍と衝突が起き市民に犠牲者が出ると判斷、25日に日本へ向かふとになる。▼一行7人の引導兼警護役を任されたのが小川哲雄陸軍主計中尉だつた。拓殖大を卒業、中國語に堪能で南京政府の軍事顧問などをつとめてゐたからだ。南京から飛行機で青島に向かふと見せかけ、海を渡り一氣に鳥取縣米子の空港に著陸、「亡命」は成功する。▼その後も小川中尉らの努力で京都に入り、金閣寺に濳伏する。だが戰勝國側の壓力の前に、日本政府による保護には限界があつた。中國・重慶政府の「歸國命令」には抗しきれず、陳主席は10月初めに歸國、翌年銃殺刑に處せられる。▼敗戰國が亡命を受け入れるなど所詮無理と云ふ見方もあるだらう。だが國も我が身もどうなるかわからない中で誠心誠意、他國の要人のために働いた日本人がゐた。そのことは誇りとして語り繼いでいきたいものである。


by kagami
【歷史假名遣産經抄】新幹線「…